憤り

二日ぶりの投稿

 

昨日は仕事で憤りを感じたことがあった。

 

私のいる部署は所謂内部政治を行うような、調整する仕事を司っているのだが、

 

同じ法人で仕事をしている、別事業所の先輩に意見を聞く必要があったため、足を運んで仕事場へ意見を聞きに行ってきた。

 

そこで、5分だけでも意見を聞かせてほしいということを伝えたのでだが、「忙しい。それはそちらの仕事だ」と取り合う暇もなく一蹴されてしまった。

 

アポイントを取らなかったのはこちらに非があるためそれは重々承知をしていたことだが、果たして意見聞きくことすら否定されるということは一体どういうことなのだろうか?

 

そもそも仕事とは、自分一人で行うことが難しいからこそ、協力して相乗効果を生むために仕事をしているのではなかろうか?

 

お互いに仕事の領分を決めすぎて、相手が今何をしているのか把握しないことは仕事としてはどうなのか?と感じる場面であった。

 

ワンマン経営の職場ならそれも許されるのかもしれないが、正直同じ職場で仕事は非常にやりにくい人間だなという感想であった。

 

今回のことで結局意見を聞かせてもらうことができなかったため、私の教訓として、

嫌いな人とはなるべく仕事をしない。

もしくは

嫌いな人間と一対一で仕事は行わないように気を付ける。ということであると思う。

 

特に若い新人や、まだ役職のない人にとっては、どうしても苦手な上司や、先輩

嫌いな人がいても、しょうがいないから関わらないといけないということがある。

しかし、それに対して、自分自身で問題解決や、何とかしようという気になると、自分の精神をすり減らしながら仕事をしなければならない。

 

それは、あなた自身の仕事へのパフォーマンスを下げ、会社に不利益をなし、精神的にもつらい状況を作るという、だれも得をしないスパイラルに陥ることになる。

 

そもそも、人間関係とは、一人で生活や仕事を完結できる人間にとってはあまり重要ではない。

好きな人と、好きな時に関わるのが一番精神衛生上良い。

 

しかし、仕事をしているとそうはいかない。社会人なのだから、嫌いな人とも仕事は我慢してするべきだ。と唱える大人はそう少なくないと思う。

 

私はこの意見に対しては、先に述べた理由で片付くと思っている。

協力する気のない人間と協力はできないと。

 

あとは相手ではなく、自分をどうコントロールするかが大切であると思う。

 

少なからず嫌いな奴や、いやな奴の対応をすると心がざわついて、そいつのことが頭から離れないという現象に陥ることがある。

 

それに対して私ができることは、そいつに対して慈愛の気持ちを持つことが大切であると考える。

あとは神視点。

要は「この人は、この年になっても相手の立場になって考えられないかわいそうな人なんだな」と捉えるか

「なぜこの人は、こういう言葉や態度をとるのだろうか?」と分析するような態度である。

自分の気持ちを載せないということが肝である。

私自身もこれを意識して嫌な相手に対応するように心がけている。

(まだ全然できてないが)

今後も頑張って自分のメンタルコントロールをしていきたいと思う。